令和2年9月12日インタビュー



 明知下地区はいいじゃん踊りのチームネームに「グレープキング明知下」と言うくらい、ブドウ栽培が盛んです。
 その歴史は昭和26年まで遡り、代々引き継がれてきました。
 その後、昭和34年にブドウ組合が設立され、県下有数の味の良いブドウの産地として名声が広がりました。
 平成3年には女性を中心とした「グレープ3」が誕生し、ブドウ栽培技術のほかに、味噌づくりや農業簿記の講習も行いました。
 
 農業の高齢化が進み、後継者不足が深刻化して、明知下のブドウ農家も徐々に衰退していますが、現在もブドウ栽培を盛んに行っている二組のご夫婦に明知下のブドウについて語ってもらいました。

 
明知下の土地改良とブドウ栽培を語ってくださった伊藤義信、利子ご夫妻 (令和2年9月12日 明知下公民館にて) 




区民だより編集委員・伊藤 (以下 伊藤) : 明知下のブドウ栽培はどのように広まっていったのですか?

伊藤義信(以下 義信) : 昭和26年頃に3軒(小野田尊禧さん、原田種勝さん、広瀬鎌吉さん)の農家から始まったんだよ。
 流谷(現在の平成地区)という所でうちはブドウを始めた。それはすごい所で、山あり、谷ありという所で、雨が降ると窪地から水が流れていたよ。
 みんなデラウェアが中心だった。
 昭和48年に原田種勝さん、小野田満さん、広瀬鈞さん、深谷凡さん、小野田藤一さんがハウス栽培のデラウェアを出した。
 重油を使って温度を上げる。5月には出荷していたから、市場にはいち早く出回った。
 祝儀相場で初出荷の時、多額の金額で取引されたんだよ。
 それはもう、びっくりする値段だった。
 それから西山墓地裏あたりになるけど、小野田十七治さんが巨峰を始めた。
 
伊藤 : ではそれから巨峰に変わっていったのですか?

義信 : いや、巨峰を栽培しているのはごくわずかでデラウェアが中心だった。
 昭和41年頃、うちも茨山で巨峰を始めたけど、ほ場整備事業が始まって、2回収穫しただけで、木を切るはめになってしまった。

区民だより編集委員長・広瀬 (以下 広瀬) : それは堤用水(枝下用水)整備も含まれていましたか?

義信 : そうそう。明知字狭間~一本木~松葉池浦~松葉池下~立山~深狭間~茨山まで、その先の豊田市堤町東住吉、野田方面まで続いていた。 今の県道宮上・知立線に沿って、土地改良を行ったんだよ。
 これによって松葉池はきれいに整備されたんだよ。松葉池下辺りは田んぼだったけど、ズブズブズブと埋まっていってしまうような所だった。

 下山工場が来た時、余った土を一本木、二本木、松葉池浦辺りに入れた。以前の地形は高低差が大きく、谷も深かったけれど、完了後は傾斜のない優良な土地になったんだよ。
 この事業が成功したので、西山地区(現在の平成地区)の土地改良をすることになったんだよ。
 西山の土地改良は昭和62年から始まったんだけど、ブドウを収穫している現役の木を切らざるを得なかった。
 断腸の思いではあったけれど、地主はみんな協力してくれたんだよね。
 平成3年には換地も終了した。今ではブドウのほかに柿やお茶が栽培されている。



義信 : 伊藤義幸さん、広瀬鋹伸さん、深谷さん、杉浦友貞さん、広瀬雅典さん、伊藤文一さんはホントに事業(トヨタ自動車下山工場誘致)に力を入れてくれた。
 義幸さんの所には毎月管財の人が来てたよ。洋間で一晩中語り明かしていたもんだ。

伊藤利子(以下 利子) :
 管財課の人が地主と交渉するのよ。

義信 : 張さん(現トヨタ自動車会長)はまだ若かったよ。
 こんなこと言ったら失礼になるけど・・・当時二反の畑の大根が残って困ってね・・・
 張さんに話したら「わかりました。」って。
 わずか3、4日ではけてしまったんだよ。
 張さんに聞いたら、「トヨタ自動車の食堂で使用しました。」って・・・
 トヨタの従業員が食べてくれたんだよ。

 張さんはよく明知下の面倒をみてくれたよ。ホントによく足を運んでくれた。
 トヨタ自動車の工場が来たから明知下は発展していったんだよ。
 何が明知下のためになるか、張さんが間違いのない方向へ導いてくれたんだよね。
 だから、トヨタさんとはずっと仲良くしていかないといけないと思っている。

義信 : うちは販売所をしているけど、トヨタの従業員さんもたくさん来てくれているようだ。
 他にもリンゴやイチジクを作っている。

伊藤 : リンゴですか?こんな暑いとろでもリンゴは成るのですか?

義信 : 成るよ。でも夜の温度が高いから赤くならない。青いリンゴのままだよ。
 でも味はいい。家で食べる分だけ作っている。  
栽培されているリンゴ(令和2年10月4日撮影)

デラウェアからシャイン・マスカットへ


義信 : 今のブドウの主流はシャイン・マスカットだね。

 シャイン・マスカットは愛知県の農業試験場が作り始めたが、ウィルスが出て栽培をストップしていた。
 しばらく栽培されていなかったけど、その後研究してウイルスフリー化して市場に出したら、爆発的人気で一気に全国的に広まった。

 うちも5年前から山梨から苗木を購入した。
 シャイン・マスカットは同じ顔をしてても、また同じ木でも糖度が違う。
 片方は甘くて、片方は全然甘みがないということもあるんだよ。
 だから朝晩糖度を測る。
 そのくらい手をかけている。
 
  伊藤直売所で栽培されてるシャイン・マスカット (令和2年8月22日撮影)



利子 : 朝糖度を測って、袋にチェックしておく。糖度は必ず測る。糖度がないものは、形がよくても直売所に出さない。
 お客さんはよく見ている。満足がいくものを出せば、お客さんはまた来てくれる。
 いいものを作るように心がけている。
 そう思って直売所をやっている。

伊藤 : ではこれからシャイン・マスカットが主流になっていくんですね。
 他にも作ってみたいブドウはありますか?

利子 : 「クィーン・ニーナ」という果皮色が赤く、肉厚、種なしの大粒ブドウがあるけど、作ってみたいなとは思う。
 でもこの辺りでは夜の温度が下がらないので、色がきれいにつかないんだよね。
 巨峰も黒くならない。真っ黒な粒が巨峰というものでしょ?

義信 : ブドウ1房にジベレリン処理だの袋かけだの6回も手をかけている。


後継者がいない 


義信 : こんな手間なこと、専業でやっていく農家は減る一方だ。
 収入が安定してくると、後継者は出る。

広瀬 : 今は農協が研究生を派遣します。

義信 : 工場の中で水耕栽培をしている世の中になってきた。
 そういうものがどんどん発展して行って後継者が出てきてくれるとうれしいと思う。

伊藤直売所で販売されているロザリオ・ビアンコ

縦23×横13cm

重さ813g

1房が大きい !
 
  令和2年10月4日撮影 



伊藤農園直売所の地図はこちらからどうぞ




編集後記


 高齢化が進む中、若い人たちは農業とかけ離れた仕事についています。なぜ若い人たちは農業をやりたがらないか。
 それは、「時間」と「手間」と「不安定な収入」だと思います。
 今の若者は安定した生活を送る道を選ぶ人が多くなりました。
 この「時間」と「手間」と「不安定な収入」問題が解決できれば、農業こそ面白いものはありません。
 全国では、少しずつ試行錯誤していろいろな野菜や果樹栽培をしている農家が出てきました。
 それも若い人たちが主流です。
 若い人たちの発想はとてもユニークです。
 こう見ると、農業は意外に魅力がある職業かもしれません。

 (区民だより編集委員 伊藤)



参考  明知下区誌

場所  明知下公民館
聞き手 区民だより編集委員長・委員
 

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