六部地蔵
六十六部の納経のために諸国巡礼していた行者が、明知に来て病にかかり正徳2年(1712)12月24日に死亡。村人これをあわれんで地蔵堂を建てたと伝えられる。戒名を名眼禅光信士という。
お堂の前の木箱に、石が高く積まれているがこれは「イボ取り石」である。この石でこすると、イボが直り、そのお礼として新しい石を返納するしきたりになっている。不思議なことであるが、木箱の中には新しい石もあり、現に効果があったのかもしれない。
なお、六部地蔵尊のイボ取りのご利益は他にも例を聞くことであり、広く信じられているらしい。現在は神明宮の氏子と明知上「年行事役員」が、毎年「六部祭」を執り行っている。
※六十六部
諸国巡礼の一つ。書写した法華経を全国66ヶ所の霊場に一部ずつ納める目的で、諸国の社寺を遍歴する行脚僧。鎌倉時代に始まる。
江戸時代には、俗人も行い、男女とも鼠木綿の着物に手甲、甲掛、股引、脚絆も同色のものを用い、死後の冥福を祈るため、鉦(かね)を叩き、鈴を振り、あるいは厨子を負い、家ごとに銭を乞い歩いた。
『広辞苑』
【明知下区誌】より