加茂の三好の御田植祭り 空も晴れるよ気も晴れる

露の玉苗旭日を受けて 伸びる力の頼もしさよ

すげのお笠をききりと締めて 揃うた乙女の赤襷よ

植える早苗は唯一文字に 直くな心をそのままに

嵐虫鳥荒らすな御田を やがて重穂に稔る迄よ

                     「御田植の歌」   

   新嘗祭の献穀田の碑
(豊田市堤町東住吉地内) 

当時は今のような平地ではなく、山場の谷間だったという。
堤町東住吉地内の道路脇にポツンとある碑。
新嘗祭献穀田跡の石碑である。
献穀田とは、皇居宮中で行われる新嘗祭に献納する新米を作る斎田のことで、昭和22年は加茂地方事務所の当番であった。
当時は占領軍の指令で、国体神道破壊の時であり、明知下屋敷の伊藤高雄氏所有の高岡町大字堤字東住吉の田んぼで行われた。
種蒔式は3月10日。
御田植式は5月15日に行われ、元侍従長藤田尚徳氏他、奉耕者12名、奏楽者3名が参列した。   
   
 
刈穂式は9月15日。
 
 
 さー あっと寄せ来る黄金の波かよ

鳴るは豊かな笛太鼓 さあさ はやせーや どんどとはやせ

時は瑞穂の秋じゃーのよ

私しゃ三好の稲刈乙女よ ゆかし神田の早生を刈る

さあーさ 刈るおーよ せつせと刈ーろよ

笠や襖はだーてじゃなーい

利鎌手に手に身も軽る軽ろとよ

重い務の田にい竝ぶ さーさ守ろーよしつかと守れ

国の力の稲穂おば

                    「刈穂式の歌」   
上納は10月23日。
奉讃会長以下献穀関係者全員が宮中宮下門より参入し、賢所にて上納。
伊藤高雄夫妻、導教氏が宮中賢所に一泊し、天皇陛下より拝謁を賜り、お礼の言葉をいただいた。  




参考文献

三好町誌 第一巻

本号は伊藤欽治氏より資料提供していただきました。ありがとうございました。
 

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