志田窯跡探訪

■志田西山窯跡探訪


志田西山窯全景

 右側正面が草創期の窯場である志田1号窯の場所で、「光武」の地名があり光武山の呼び名がある。志田西山という名称の山があるわけではなく通称名である。ここが伊万里全盛のころ、全生産高の3割を誇った一大窯業地であった面影はない。ここであの志田染付皿が生産されたとは、当の九州地方でも忘れ去られていた。
山社

 西山窯業の神として蓮池藩初代藩主鍋島直澄が祀られている。この祠や石燈篭,狛犬の台座に安政2年と4年の年号が刻まれ、施主浦川仁右衛門や伊万里港商人の横尾武右衛門などの名前が記されている。当時の窯業の発展は販路開拓に係った商人の力によるところが大きい。
陶山社石碑

 西山陶山社境内の狛犬礎石部に奉納者として伊万里津商人の名前が刻まれている。生産と流通が区分されていたと言うより不可分の関係で、生産委託と販売を行なう商人の存在が大きいことが伺われる。
西山窯跡

 陶山社に隣接する森の中に残存している。窯壁であるが、唯一窯場であったことをうかがわせる貴重なものである。すでに日は陰りストロボでようやく撮影できた。周辺には磁器の破片が暗闇にところどころ白く浮かんでいた。当時の窯跡がそのまま残っていれば解明も容易であろう。


■志田東山窯跡探訪


志田東山全景
 
 正面の小高い山が東山窯場のあった場所である。西山より後れて開窯された。支配は鍋島本藩で、西山の蓮池支藩領とは異なっていた。本・支藩の関係かもしれないが、それほどの製品差はないようである。正面の人家のある表道を迂回して背後から窯場や東山山神社へ達することができる。
 志田東山の高みから街並みを眺めることができる。
 東山神社、通称「山ん神さん」の石祠
 境内には、志田再興の祖江口氏の石碑が建つ。安政4年建立。