名鉄 三河線 レールバスガイド
名鉄のレールバス


名鉄 LEcar 諸元表
形式 製造初年 製造所 製造数 長さ
(mm)

(mm)
高さA
(mm)
高さB
(mm)
自重
(t)
出力
(ps/rpm)
冷房容量
(kcal/h)
10形(1次車) ’84年 富士重工 3両 12,500 2,724 3,716 3,515 15.7 180/2,200
10形(2次車) ’85年 3両 12,500 2,724 3,716 3,550 16.4 180/2,200 22,000×1
20形 ’87年 5両 15,500 2,924 3,716 3,550 24.5 250/1,900 22,000×1
30形 ’95年 4両 16,500 2,924 3,965 3,842 26.3 250/1,900 24,000×1
高さAには、列車無線アンテナを含み、高さBには、列車無線アンテナを含まず。


10形 キハ11・キハ12・キハ13・キハ14・キハ15・キハ16
10形1次車 キハ13 10形2次車 キハ15+キハ16
八百津駅のキハ13 試運転中のキハ15+キハ16 土橋駅にて

10形1次車 キハ11・12・13

1984年(昭和59年) 富士重工が開発した地方交通線向けレールバスの2号試作車、LE−CarUをベースにキハ10形が登場。9月23日より八百津線に投入されました。
LE−CarUは、営業路線上でのデーター取りのため同年5月の3日間、終電後に八百津線にて試運転を実施しており、その実績を踏まえての登場となったようです。

導入当初の運転区間は、八百津線の明智〜八百津間に加えて、明智から検修庫と給油施設を設けた新可児まで、架線下運用となる広見線にも 1往復/日 運転されました。
2軸ボギー車が主流の時代にあって1軸台車で登場。エンジンは大型バスに多用されていた日産ディーゼルのPE6H型エンジンを搭載しており、以後、名鉄のLEは全てPE6H系列のエンジンを搭載することになります。
建造費を低く抑えたため側窓はバスタイプとなり、冷房装置も取付けられませんでした。また、後に取付けが行なわれていますが、登場時には両サイドのバックミラーや、列車無線アンテナも台座のみで取付けられていませんでした。

10形2次車 キハ14・15・16

1985年(昭和60年) 三河線(猿投〜西中金間)のLE化に合わせて増備。同年3月14日より導入されました。
冷房装置を搭載したため、その配管の関係から側窓の配置が変更されました。1次車では同じサイズの窓が等間隔で9枚並んでいたのに対し、2次車では車体中央で4枚と5枚に分かれていました。また、乗車定員も1次車が90人(座席36人)に対し、2次車では88人(座席36人)と2人分減っています。
この日から広見線の明智〜御嵩間にも昼間帯に限りLE−Carを導入。明智〜新可児間もLEの運用が増やされました。
総勢6両となった10形の活躍範囲は、後輩のキハ20を迎え入れ、1990年(平成2年)7月1日より三河線海線区間の碧南〜吉良吉田にも進出。入出区の関係で碧南〜猿投間にも 1往復/日 運転されました。しかし、10形の終焉は意外にも早く、登場より11年目の1995年(平成7年)、LE−Carより鉄道車両に近づいた『LE−DC』30形の登場により全車が廃車に。その内15.16の2両が栗原電鉄(現在のくりはら田園鉄道)に引取られ第2の人生を歩みだしました。
キハ20のページへ   キハ30のページへ   富士重工LEcarUのページへ



Copyright (C) 2003〜2004 YAMAYASHIKI All Rights Reserved