名鉄 三河線 レールバスガイド
名鉄のレールバス


名鉄 LE−Car 諸元表
形式 製造初年 製造所 製造数 長さ
(mm)

(mm)
高さA
(mm)
高さB
(mm)
自重
(t)
出力
(ps/rpm)
冷房容量
(kcal/h)
10形(1次車) ’84年 富士重工 3両 12,500 2,724 3,716 3,515 15.7 180/2,200
10形(2次車) ’85年 3両 12,500 2,724 3,716 3,550 16.4 180/2,200 22,000×1
20形 ’87年 5両 15,500 2,924 3,716 3,550 24.5 250/1,900 22,000×1
30形 ’95年 4両 16,500 2,924 3,965 3,842 26.3 250/1,900 24,000×1
高さAには、列車無線アンテナを含み、高さBには、列車無線アンテナを含まず。


富士重工 LE−CarU
明智駅のLE−CarU 富士重工製 南部縦貫鉄道のキハ10

LE−CarU

名鉄にLE−Carを導入するきっかけを作ったのが 1984年(昭和59年)に富士重工で開発された試作車『LE−CarU』でした。
この車両は、国鉄再建法により進められていた分割民営化に備え、再出発する地方交通線向けに開発されたものでした。バス部材を流用することにより開発費、製造費を安く抑え、多難な地方の鉄道事業者にコスト面でアピールしました。

この車両が作られた当時は国鉄線上からはすでにレールバスの姿は無く、唯一南部縦貫鉄道に富士重工製のレールバスキハ10形、101・102が現存していました。これらのレールバスは、機械式の変速機(車でいうマニュアルシフト M/T車)を有しており、増結時に総括制御ができず、運転手を車両分必要としていました。

そこでLE−Carでは液体式の変速機(車でいうオートマチック A/T車)に変更し総括制御を可能としました。また、多くのニーズに応えるべく前面形状も画像に有るような非貫通形と、反対側には名鉄キハ10タイプの貫通形の2種類を用意し、エアコン、ワンマン装置、側窓、座席等はオプション扱いとされました。

名鉄でも不採算ローカル線を控えており、1984年度(昭和59年)の実績で輸送密度を見てみると、八百津線が1788人/日、三河線(猿投〜西中金)が1380人/日と国鉄再建法でいくと廃止対象の地方交通線に匹敵するほどの値でした。そこで、合理化の一環としてLE−Carの導入が図られました。

LE−CarUは、1984年(昭和59年)5月8・10・12日の3日間、終電後の八百津線(明智〜八百津間)にて7往復の試運転が行なわれました。この様子は当時のニュース番組でも取り上げられました。
このときのデーターを基に名鉄では八百津線へのLE−Carの導入を決定したようです。
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